地下室の手記 ドストエフスキー(165)

地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

 アンチヒーローとは言い方と思うが、果たしてこれまでこんなにも惨めったらしく情け無い主人公がいたかと言えばきっといなかったので、これはこれで良いのではないか。それにしても何と人間の思考の愚かで卑小なことか。

 何故人間には、よりによって合理的な有利な欲求がぜひとも必要であるなどと、思いこんだのか? 人間に必要なものは、ただ一つ、自発的な欲求のみである。

 それどころか、臆病風の最も激しい熱病的発作の真っ最中でさえも、連中を圧倒し、打ち負かし、魅了し、せめて≪思想の高邁さ、疑いようのない機知≫という点だけでも連中に俺を愛してもらいたい、という夢を抱いていたのである。

 他の一切を忘れてしまった。平手打ちを喰らわせることを最終的に決断し、それが必ず今すぐに、もうこれからすぐに起るのだ、もはやいかなる力でも止められやしない、そう感じると、戦慄を覚えたからだ。

 なぜなら、俺たちは皆、生活から離脱し、各人が多かれ少なかれ欠落をかかえているからだ。どれほど離脱しているかと言えば、どうかすると、本物の≪生きた生活≫に対して、なにやら嫌悪感すら覚え、それゆえに≪生きた生活≫のことを思い出させられると、耐えられないほどなのだ。なにしろ俺たちは、それが昂じて、本物の≪生きた生活≫のことを、ほとんど辛い労役かお勤めとでも思っているくらいであり、誰もが内心では、書物からの引き写しでもやるほうがマシだ、と同意しているのである。それでいてなぜ、ときには、なにかごそごそやってみたり、無茶してみたり、願望を抱いたりするのだろう? 自分でもなぜだかわからないのだ。なにしろ、もしその無茶な願望が叶えられてしまったら、俺たちはかえって困るくらいなのだから。そう、例えば、試しに俺たちにもう少し独立を与え、誰でもいい、俺たちの誰かの手の縄を解き、活動範囲を広げ、監視の目を緩めてみるがいい。すると俺たちは……断言してもいいが、俺たちは、たちまち元通りに監視してくれ頼み込むに違いない。